発明は我欲で作るのでなく、人々が幸せになるものを作るのが発明です。

私は講演などで、「お経は唱えるものではなく、お経に書かれていることを実行することだ。」と話すことがある。それこそが本当の仏の教えではないかと思うからだ。

お経を唱えたり、修行で水をかぶる暇があったら、三分でも五分でもいい、自分以外の人間に幸福を与えるために何らかの努力をするべきであって、それこそが修行ではないか、と思うのである。
本当の修行とは、欲望を捨て自分以外の人々に喜びを与えることである。

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「人の心に灯をともす」

【与えた分だけ自分に返ってくる】

政木和三氏の心に響く言葉より…

私は大阪大学時代、友人や先輩から研究実験の依頼を受け、自分の余った時間をすべてそれに注ぎ込みながら、普通の人の5倍ぐらい仕事をしていた。そういう生活を20年ぐらい続けたお蔭で、工学や医学などのあらゆる分野の知識を習得することができた。それが後に数多くの発明に役立った。また、それらの発明も、特許を私物化せず、無償で社会へ提供した。

このように、人のためになろう、人に幸せを与えようと努力していると、与えた分だけエネルギーが自分に返ってきて、自分の人間性が向上できる。ここが大事なのだ、と私は思う。

60歳を過ぎてから、私の身の回りに信じられないような奇跡が次々と発生し、最高の幸福を感じられるようになったとき、作用と反作用の原理は、物理的現象だけではなく、生命体の因果応報となって、精神的な面にもあらわれるということに、私は気づかされたのである。

つまり、自分の人間性を向上させること。これがこの世に生きる私たちの最高の幸せということになってこよう。したがって、本当の意味で幸せになりたかったら、私たちは無条件で、しかも自分で意識せず、人に幸せを与えることではなかろうか。

生命体のエネルギーは修行によって高められていく。真の修行とは、自分以外の人々に幸せや喜びを与える行為を積み重ねていくことにほかならない。それによって生命体のエネルギーが高められ、自分の人間性が向上していったとき、その高められたエネルギーによって、私たちは常態の1000倍も1万倍もの力を発揮することができ、まさに「この世に不可能はなくなる」のである。

人に幸せを与えるエネルギーがある間は、間違いなく私たちの寿命もある。そのエネルギーがなくなったとき、少なくとも私は、自分の寿命はなくなってもいいと思っている。

したがって、生きているかぎり、私は人のために尽くし続けていくことになるだろう。それが私の人生であり、生き方である。

『この世に不可能はない』サンマーク出版

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天才科学者と言われた政木和三博士は、自動炊飯器や瞬間湯沸かし器、自動ドア、あるいは医療の世界で使われているCTスキャンなど、実に3000件におよぶ発明をしてきた。しかし、そのすべての特許は無償で公開してきた。それらを全部自分のものしていたら、おそらく4000億から5000億の特許料が入ってきたという。

人に幸せを与えることは、有名人や科学者の専売特許でもなければ、大きなお金がなければできないことでもない。いつもニコニコとして、愚痴や不平不満を言わず、明るく元気で、感謝多き人生を送る人がいるなら、それだけで、まわりは勇気と元気をもらい、温かな気持ちになり、幸せをもらえる。

我々がこの世に生を受けた目的は、「自分の人間性を向上させること。」
それは、「与えた分だけ自分に返ってくる」という法則。
世のため人のため、自らの魂を磨き、与え続ける人でありたい。