当院では気功施術の際、お客様とお話しさせて頂く事もありますがその際お客様から頂きましたご質問でとても印象に残っているものをブログ記事としてまとめました。

人生の意味についてのこ質問

よく瞑想を極めたマスターや高僧などが「人生に意味は無い。。ただ、生かされているだけ。。。」と言っている方がいます。

一方で「人は魂の修行のために肉体を持ってこの世に生まれて来ている。。」と言っている人もいます。

または、「人生は魂が体験するためにあるもの・・・素晴らしい体験をするために生まれて来た。。だからとことん楽しんじゃおう。。」と言う人もいます。

それぞれ別の事を言っている様に思えるのですが、どれが正しいのでしょうか?

当院の見解と回答

それらの疑問は、精神世界や哲学を深く探求する人が必ず突き当たる「究極の矛盾」ですね。実は、これらはどれかが「正解」でどれかが「間違い」なのではなく「どの次元(視点)から人生を眺めているか」という「解像度」の違いに過ぎないと思っています。

これらを「映画」に例えて整理してみますね。

人生を読み解く 3つの視点

1. 「人生に意味はない。ただ生かされているだけ」

【視点:映写機・スクリーンの視点(空・非二元)】

これは悟りを開いた高僧などに多い視点です。

例えると 映画が流れていてもスクリーン自体は何ら変化せずただ白い布としてそこにあります。

私たちが勝手に「良い・悪い」「意味がある・ない」とラベルを貼っているだけで、宇宙の営みはただ淡々と起きているという境地です。「意味を求めなくていい」という究極の解放でもあります。

2. 「人は魂の修行のために生まれてきた」

【視点:映画の登場人物・役者の視点(成長・因縁)】

これは多くの宗教やスピリチュアルが説く最も人間らしい視点です。

例えると 役者が「難しい役(困難な人生)」を演じることで演技力(魂の器)を磨こうとするプロセスです。

苦しみや葛藤にはすべて「学び」という報酬があると考えます。この視点で見れば人生で起こる様々な試練は魂を磨くための最も純度の高いプログラムとなります。

3. 「人はこの地上界を体験し、とことん楽しむために生まれて来た」

【視点:観客・プロデューサーの視点(創造・遊戯)】

これは自分自身が「人生の創造主」であるという視点です。

例えると 「ホラー映画も、感動巨編も、すべて味わうためにチケットを買って入場したんだから楽しまなきゃ損でしょ!」というスタンスです。

喜怒哀楽のすべてを「彩り」として捉えます。美味しいものを食べることも、誰かを愛して泣くことも、人生で起こる辛い出来事も・・・それら全てが肉体を持たない「魂」の状態ではできなかった「貴重な経験」だという考え方です。

答えは人生をどの視点で見ているかの違いです。

実はこれら3つは人生をどの視点から見ているか?の違いでしか無いのかも知れません。

高い山に登ることを想像してみて下さい。「頂上に着くこと(結果)」だけを見れば、ただの移動ですが、

① 【修行の視点】登っている最中は「苦しい訓練(修行)」であり、

② 【体験の視点】同時に「絶景を楽しむ(体験)」でもあります。

③ 【無(空)の視点】宇宙全体から見れば「ただ一人の人間が山を動いただけ(無)」です。

どの視点を選んでも間違いでは無く自分の「心の状態」に合わせて視点を使い分けるのが良いのでは無いでしょうか。

人生とは何なのか? 私なりの解釈

①「修行(魂の磨き)」として日々起こる出来事に対し時間を丁寧に過ごし、

② 時折ふと「ただ生かされている(大きな流れに身を任せる)」という視点で肩の力を抜く

③ そうして数年後にすべてが落ち着いた時「ああ、あの激動の時期も、私の魂にとってはなんて『素晴らしい体験』だったのだろう」と振り返る日が必ず来ます。

どの考え方が間違っている。。。違う。。。と言う事は無く。ただ、「今の自分を一番楽にしてくれる考え方」をしてみると良いのかも知れません。

自分自身でも長年疑問に思っていたこれらの事について私は今はそんな解釈をしています。